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鍼灸は遣隋使や遣唐使の伝来

前近代 [編集]
日本では、鍼灸は遣隋使や遣唐使の伝来と共に伝わったと言われている。鍼灸の伝来と共に鍼灸は律令制度に取り入れられて針博士が任命され、日本の医療の一部として浸透し始める。丹波康頼の『医心方』には鍼灸の条文が記載されているが、鍼の使用法については外科的なものばかりであり、現代のような金元明医学の鍼法とは大きく異なる。灸法についても、現在のような経脈(経絡)を意識したツボ(経穴)の使用法ではなく、特効穴的な選穴か、鍼と同じく外科的な使用法である。これらは『千金方』や『外台秘要』などの影響であり、隋、唐代医学そのものと言って過言ではない。ツボや経脈が現在のような使用法に至るには、明代医学の伝来を待つしかなかった。
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室町時代から江戸時代に入って日本鍼灸は大きく発展した。『鍼道秘訣集』の御薗夢分斎、打鍼術を発明した息子の御薗意斎、『素問諺解』、『難経本義諺解』、『十四経発揮和語抄』など中国の文献の解釈本を多く出版した岡本一抱など、この時代は多くの人物を輩出したが、特に杉山和一の功績は大きい。杉山和一の考案した管鍼法は日本の主流の技法となっている。また、盲人であった和一は盲人の鍼灸術修得のため鍼治学問所を設立した。

近代 [編集]
明治時代になると、近代西洋文化の流入に伴い、明治政府が西洋医学の導入と共に漢方医学の排斥を進めた。鍼灸もその例に漏れず、明治時代から大正時代にかけて鍼灸は衰退を辿った。

明治から昭和初期にかけて鍼灸の医学的研究が成熟を迎えるようになり、大久保適斎は鍼灸刺激は交感神経を介して心臓に影響が及ぶということを提唱し、三浦謹之助は鍼治についての研究を行い、後藤道雄はヘッド帯を用いての治療を行った。長濱善夫と丸山昌郎は鍼の響きによるものと考えた。石川太刀雄は皮電点を、中谷義雄は良導点を、小野寺直助は圧診点を、成田夬助は擦診点を、藤田六朗は丘疹点を提唱した。また、芹澤勝助は鍼灸師として初めて医学博士を取得した。中山忠直は『漢方医学の新研究』の著書で鍼灸医師法を提案した。

昭和に入ってから第二次世界大戦やGHQの統制で鍼灸の存続が危ぶまれたが、医学博士石川日出鶴丸や全国の鍼灸師の働きにより昭和22年(1947年)12月20日、「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」が公布される。

また、鍼灸の衰退に対して復興運動が昭和初期から起こりはじめた。「古典に還れ」と提唱した柳谷素霊とその元に集まった岡部素道、井上恵理、本間祥白、福島弘道などが経絡治療を体系化した。他にも澤田流太極療法を考案した澤田健と弟子の代田文誌、江戸時代の本郷正豊著『鍼灸重宝記』の内容を治療法の核としていた八木下勝之助、小児はりの藤井秀二、皮内鍼の赤羽幸兵衛、『名家灸選釈義』を著し、深谷灸法を確立した深谷伊三郎、その弟子で『図説深谷灸法』を著した入江靖二、『灸治療概説』を著した根井養智、『鍼の道を尋ねて』の著者であり鍼灸の神様と呼ばれた馬場白光などが古典を元に鍼灸の復興に力を注いだ。

資格制度の変遷 [編集]
明治44年(1911年):内務省令「按摩術、鍼術灸術営業取締規則」制定。
大正9年(1920年):フランスから入ってきたマッサージ術と柔道整復術が按摩営業取締規則の附則に入る。
昭和20年(1945年):敗戦。GHQ(進駐軍)のPHW(進駐軍衛生部)により医業以外の治療行為を全て禁止するように勧告がなされる(所謂マッカーサー旋風)。これを受け、厚生省は昭和22年1月の医療制度審議会において、
按摩・鍼灸・柔道整復は、医業の一として治療行為を許可する
按摩・鍼灸・柔道整復は、教育を高度化させ、国家試験を実施する
と答申。

昭和22年12月(1947年):「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」が成立。これにより按摩・鍼灸・柔道整復の免許は、明治以来の営業鑑札(鍼術・灸術営業者)から、国家資格の身分免許となる(※但し、営業免許ではない(国家資格の身分免許)であることを明確にさせた方が良いと、昭和26年4月に「あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法」に名称変更される)。
昭和30年(1955年):「あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法」の「あん摩」が、「あん摩(マッサージ、指圧を含む)」と変更。
昭和53年(1978年):鍼灸を専攻する初の3年制短期大学設置(明治鍼灸短期大学)。
昭和58年(1983年):鍼灸を専攻する初の4年制大学設置(明治鍼灸大学)。(明治鍼灸短期大学が大学に昇格したもの)
昭和62年(1987年):国立初の鍼灸学科を擁する3年制短期大学設置(筑波技術短期大学・鍼灸学科)。
昭和63年(1988年):「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律」の改正により、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師及び柔道整復師に関わる試験の実施と登録事務が、都道府県知事から厚生大臣に変更(平成4年10月施行)。
平成3年(1991年):鍼灸関連の大学院修士課程が初めて設置(明治鍼灸大学)。
平成6年(1994年):鍼灸関連の大学院博士課程が初めて設置(明治鍼灸大学)。
平成16年(2005年):国立初の鍼灸学科を擁する4年制大学設置(筑波技術大学・鍼灸学科)。(筑波技術短期大学が大学に昇格したもの)

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2009年04月02日 16:20に投稿されたエントリーのページです。

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